ミソジさんは男性です。大事な人に話しをするように書く。

ミソジノジスイ』のミソジさんが男性だったんだ……。と、小さな衝撃。

プロフィールページに、はっきりと『男』と書かれているのにもかかわらず、勝手な思い込みで女性だとばかり思っていました。書かれているテキストの内容が、野菜を無駄なく使用している様子だったり、掃除のことだったりすので、てっきり…。

私の頭が、ミソジさんは男性だと理解してから読む『ミソジノジスイ』は、また違う感じがして…。面白いものですね。ミソジさんみたいな友達がいたら、本来主婦の頭の中にあるべきミソジさん的豆知識を私の頭の中に植えつけて欲しいし、美味しい料理を作ってほしいです。そうしたら私の限りなく低い家事能力が嘘みたいにパワーアップするはず。(妄想。)



そうそう、テキスト庵から飛んでいっていろいろなサイトの文章を読むときに、もう一つ気になっていることがあるのでした。それは文体です。
文体から性別不明な感じがただようサイトもありますよね。『だである調』の文体で書かれる方の中には、本当にものすごく性別が判り難い方がいらっしゃるんです。別に男だって女だってどうでもいいじゃないか?と、思われる方もいるかもしれませんが、私はそこはいつも書き手を想像しながら文章を読むので、気にしているところです。

個人的には『だである調』の文章を読むのは好きだし、私もずっと前に書いていたテキストサイトでは、ほとんど『だである調』で書いていました。それが、なぜ今は『ですます調』…というより、何の縛りもない自由な文体にしたか?

理由ははっきりしています。自由に書きたかったからです。
内容も自由。感情表現も自由。極端なことを言えば、単語の羅列だっていいと思うんです。その時の感情が一番伝わりやすい方法で書きたい。一番自分に近い形でね。

『だである調』でまとめようとすると、どうしてもその文体を崩せなくなります。そうしなければいけないというわけではないのに、なぜか『だである調』に対しては構えてしまうのですよね。



思うのです。あまりにカチカチな文体も疲れてくるし、感情のままに話し言葉で書きなぐるのも後から恥ずかしくなる。長く書き続けることを前提にするのであれば、自分の大事な人に話しをする時の言葉遣いで書くのがいい。自分をちゃんとわかってもらいたい。だけど、自分の嫌な部分は隠したい。でも隠せない。…そんな微妙な気持ちがバランスよく文章に表れるんじゃないかなぁ…?

なんて。ぁぁ今日も思いつきで書いちゃったな。