センセイの思い出

センセイの鞄』を読んだばかりだから…。自分が思う、大事な先生は誰だろう?と、考えました。いや、考えるまでもありませんよ。私が生涯の中で一番と思える先生は、ただ一人ですからね。

個人的な思い入れをダラリと書かせてもらいましたので、決して面白い文章じゃないですが…アシカラズ。


中学に入ったばかりの私。まだ慣れない制服のまま体育館に見学に行きます。女子バレー部。そこには、猫背で少し右肩の上がったおじさんが機械仕掛けみたいに手からボールを繰り出して、先輩達はそれを必死の形相で追いかけていました。永遠に終わりそうもないなぁ…。この人達はなんだ??

『そこの1年!!何ボーッとつっ立ってんだ!着替えてこい。』私達のほうを見て叫んでいます。そのおじさんは私のクラスの担任でした。先生は見学に来た1年生全員にボール拾いをさせ、『明日も来い。』とつぶやきました。

翌日。友人と他の部活も見に行こうか…?と、話し合っていましたが、放課後、先生に流されるまま次の日もまたその次の日もボール拾いに行きました。最初は20人以上いた1年生部員も、日に日に人数が減り、気付けばたった5人になっていました。小学校でバレー経験のない私は、何をやっても下手で先生に罵声を浴びせられ、何度も泣きそうになりましたが、先輩達が受けている練習や厳しい指導に比べたらどうってことないや、くやしいだけ。私が下手なだけ。とにかく上手くなりたいと思いました。

先輩達の引退試合の日、会場校の熱気に舞い上がる私達。応援に力が入ります。いつか私もコートに…?と妄想をめぐらせていると、先生から呼ばれました。『お前、今日ベンチ入れ。』わけも分からぬまま、ベンチに入り、何とその日にピンチサーバーとしてコートにも立たせてもらえました。サーブポイントの気持ちよさ、先輩達と同じコートで喜び合えることに味わったことのない高揚感を覚えました。

その後の毎日は、バレー、バレー、バレー。意識が遠のくほどの練習だけど、先生の声に反応して足が手がボールを追います。練習が終わると外は真っ暗。そしてまた翌日は朝練です。先生は誰よりも早く学校に来ていました。2年生のある時、練習試合に行った先で調子の悪い私達に先生は激怒。往復ビンタで鼻血を流す子。靴のまま足を蹴られて、ももに足の形がくっきりついた子。先生に叩かれる度に後ずさり、体育館の端から端まで殴られ続ける子。先生がすばやく投げたパイプ椅子が命中してしまい、見たことないくらいの大きなアザができた私。相手校の子達が明らかに引いていました(笑)近隣校でも、とにかく先生は酷く厳しいという噂になりました。

今思うと、精神論は叩き込まれましたが、技術的なことはそれほど指導された記憶がないんです。それでも私達のチームは区では常に優勝できたし、都大会、関東ブロック大会…当時の強豪校共栄学園中と対戦する機会まで得られました。もちろんボロ負けでしたが、共栄との試合の後、先生がやさしく笑いながら『お前ら、幸せだな。オレもな…。』と言ったことが当時の日記に書かれていました。恐るべし日記…。日記は記憶を辿るのには絶好の材料になりますね。

思えば、先生は私達の力を引き出す魔法が使えたのかもしれません。

たいして上手くもない私をキャプテンに任命したのも先生でした。体育館の隅にある狭くてコーヒーの匂いがする教官室に呼ばれ、『お前がやれ。』その一言でした。先生の言葉は、不安を全部消してくれる力がありました。大丈夫。大丈夫。

自分のことよりも人のこと。自分のことだけ考えていたら、チームはバラバラになる。そんな気持ちを先生がみんなに植え付けていきました。


一度だけ、もうダメだと思い、教官室で泣きました。『チームがダメになる…先生に怒られる…殴られる…でももうダメだ…やめたい。』殴られる準備で奥歯を食いしばりました。すると、先生の右手は私の頭の上にありました。『疲れたか?』そう言って、頭を撫でました。後にも先にも、先生が優しい言葉を口にしたのはこの時だけだったと思います。

『お前が辞めたら、みんな辞めるぞ…。』

まだ未熟な心だけど、いっぱい考えました。仲間といろんなことを話し合いました。心が飛躍的に成長した時間でした。結局みんな辞めずに、最後の試合まで頑張りました。

卒業式の前に、先生が私にウサギの大きなぬいぐるみをくれました。先生とかわいらしいウサギがどうにも結びつかず、すごく可笑しくて思わず笑ってしまいました。先生、これ買いに行ってくれたのかなぁ…?と思うと、すごく感激しました。その後も、そのウサギは私の宝物でした。


バレー部以外の場でも、先生の思い出はたくさんありますよ。

練習で、猛烈に殴られた翌日などは、廊下で先生の目を見るのも嫌だったなぁ…。きっと、先生も気まずかったことでしょう。(笑)

余談ですが…。
先生はよく私に『お前はいいお嫁さんになるタイプだから、いい相手見つけて幸せになれ。』と、言っていました。何の根拠があってこういうことを言うのか、理解に苦しみましたが、ある日などはクラスメイトを名指しで『あいつとお前ならいい家庭を築けそうだな。』とまで言っていましたから。中学生に向かって、結婚のことまで指導するとは…。残念ながら、その彼とは結婚しませんでしたよ、先生。(笑)

学校には、先生のことを信頼している生徒が多かったこと…。バレー部だけではなく、所謂当時の不良の生徒にも絶大な信頼を得ていまして、騒ぎが起こる度に先生が出ていってその場を収めるという、かけ込み寺みたいな先生。いつも自分のことは後回しな人生ですね。




先日、バレー部の小さな同窓会がありました。集まれたのは2学年でたった6人でしたが、そこには先生の姿もありました。

さすがに20年以上経っていますから、私達のこと忘れてしまっているのでは?と、期待せずに参加しましたが、意外にもしっかり覚えていてくれました。『お前らの代は、下手くそだったな。』と、言って笑う先生の笑顔は、ものすごく温かかったです…。

人生の中で、信頼できる師に巡りあうということが、いかに大事であるか。私の心の底にある当時の痛みや喜びや悲しみは、今の私を作る原点だと言えますね。大げさかもしれないけれど。


『お前らの中学に居た頃がオレも一番楽しかった。』そう思ってもらえて、私達教え子も幸せですよ。

先生、いつまでもいつまでもお元気で。
残りの人生は、ご自分のために…。


またお酒呑みましょう。とことん付き合いますよ。