イジワル虫
去年勤めていた職場で、娘ほどの歳の子から小学生のイジワルのような嫌がらせを受けたことがあって、それがきっかけで転職を早めることとなった話。
自分は子供の頃から争い事やトラブルの場面にいることが苦痛でなるべく避けて暮らしてきた。トラブルになる前に避ける癖がついていたため、大人になってもほとんどそういう経験がなく、去年のそれは自分にとって衝撃的な出来事となった。
文字にしてしまえば本当にたいしたことではないのだ。患者さんが終わった後普段なら手の空いているスタッフが片付けをして一緒に帰るのだが、その日は最終のアポイント時間、私の患者さんが終わった後に受付さんに伝言事項を伝えに行き診療室に戻ると、彼女は片付けを一切せず早々に診療室の電気を消して無言で帰った。私が使用していた診療台とレントゲンを写しているモニターだけが煌々と光を放った診療室。イルミネーション?キレイ...いやいや...は?まずは呆然とした。
無言で一人片付けをしながら、悲しくなって涙が溢れそうになった。いい大人が...だ。10分もしたら冷静になってきた。『ああ、イジワルをされる免疫がないんだな〜自分...。』
その子が精神的に不安定な部分があることは承知だったが、私はこのこととは関係なく数ヶ月後に退職することが決まっており、なるべく穏やかに引き継ぎを終えようと気を遣って過ごしていた。しかし、日々ジェットコースターのような喜怒哀楽の乱高下に正直疲れていたので、これをきっかけに双方の精神状態を維持するためにと退職を早めてもらった。
当時は自分の対応にも問題があったのかもしれない。指導の中で言い方がきつかったかな?とか、省みたりもしてみたが、もう辞めたのだから忘れよう!と、その後は考えることもやめた。
ほどなくして、かつての同僚からその子が患者さんを怒らせてしまうトラブルを起こし、本来の資格業務から外された末に退職したことを聞いた。
その子はトラブルを巻き起こしても自分にも何もプラスになっていないことにいつか気付くかな。
因果応報なんだよー!
私の心の中のイジワル虫がつぶやく。
副鼻腔炎のこと
数年前から副鼻腔炎の症状に悩まされている。鼻から喉の奥に粘度の高い鼻汁が流れて気持ち悪い。頭痛がする。目の奥が痛い。
近所の耳鼻科に行くと問診一瞬で終わり、鼻にシューッと何かを噴霧し吸引される。ネブライザーして終わり。抗生物質も真面目に飲んだ。
しかし症状の改善は全くないまま2年経過。長期で抗生物質を飲んでいることも心配だったし、そろそろ...と、転院をしてみた。
新しく行った耳鼻科ではこれまで一度も撮らなかったレントゲン、CTを撮り、副鼻腔に空洞のところがほぼなくなってしまっていることを説明された。なるほど...。
手術という手段もあるが、まずはやはり投薬治療で...ということになった。
この年齢になればあちこち不調が出てもおかしくはない。しかし、不快な症状がなんとか良くならないものかな。
もっと大きな病気で悩んでいらっしゃる方もたくさんいるのだからこのくらい...とも思うが、やはり辛いものは辛い。
鼻を取り外して中をメインテナンス洗浄できたらいいのにね。
そして明日も貴重な休みを耳鼻科の待合室で過ごすのだ。
あ、そうだ!本を読もう!!
10年間寄り添ってもらってる
お肌の悩み【つかってみんしゃいよか石けん】 - まるくてぬるくて
11年前に書いた記事。
自分でも驚きなのだが、この洗顔せっけんを今も愛用している。今は商品名が変わったりパッケージもおしゃれになったり変化はあるものの中身は一緒だ。
シミは増えたし加齢は隠せないが、肌トラブル少なくまあまあいい感じでいられてることに感謝。
10年以上も寄り添ってもらってありがとう。
10年の間に変わったこと
昨日、4年ぶりにお会いした方とこの4年の間に変わったことについてのお話をした。
娘が大きくなった。
仕事が2回変わった。
趣味が変わった。(野球観戦にはまった)
そうか。オリンピックだって4年に一度。人は4年あれば客観的な部分では変わる。4年。うそでしょ?そんなに経ったの?今もそう思ってる。中身は何ひとつ変わっていない。
さて、このブログ以前書いていたはてなダイアリーからの移行を忘れて放置していたのだが、はてなさんが自動で移行してくれていた。消えたと思っていたものがガサガサ探したら出てきて変な焦り。どうやら10年前には比較的頻繁に更新していたようだ。古いアルバムをみるように辿ってみる。
10年前に自分が書いた文章の中に、Twitterに馴染めないといった内容があった。ふむふむ。
10年のうちにすっかり自分もTwitterに馴染んだ。馴染まされてしまった。それと同時に長文から離れていった。読むのも書くのも。
明日から寒くなるみたい。
金木犀も終わりかな。
コート、出そう。
自分のため
自分の気持ちに正直に生きたいと思う。全ては自分が選んでしていることだから、傍目からは誰かのために見えたとしても、それは誰かのためではなく自分のためにしているだけ。だから、何の見返りも求めてはいないんだよ。
他人は他人だ
他人は気にならなかったはずなのだけど、どうしても気になってしまうことがあった。
最近になって、同年代の同僚女性が男性上司に対し、甘ったるい声で話すようになり、他部署からも様子がおかしいと噂が立ち始めていたので、仕事し難くなるから気をつけたほうがいいのでは?と、余計な忠告をしてしまった。
さらに、その人の他の馴れ馴れしい口調の電話応対も気になっていたので、ついでに、『前から思ってたんだけど、仕事の話し方ではないと感じちゃうな。』と、口煩く指摘してしまった。
放っておけばよかった...。
激しく後悔中。
私も女なので、好意を持っている人に対しては話し方が変わっているかもしれないし、目からハートが出ているかもしれない。でも、仕事となれば話は別だ。
彼女からは満面の笑みでこう返された。
『今までこういうスタイルでしかやってきていないから、急には変えられない。引き続き不快な思いさせるけど、見ないふりしてね。』
疲労感だけが残った。
人のことに干渉するべきではないな。
他人は他人。それが彼女のスタイルなんだ。