『死』『コワイ』生きてることが辛いなら

『死ぬっていう言葉、なんかコワイから言わないんだ。』

小学2年の娘が言いました。子供がよくやる言葉遊びの中に『死んじゃった』というフレーズがあったらしく、自分は『死んじゃった』というところを別な言葉に置き換えて歌ってると教えてくれました。え?子供は無邪気に深い意味も考えずに歌うのが普通じゃないのかな?

なぜ娘は『死ぬ』という言葉を怖いと感じたのでしょう。まだこの世に生まれてからたったの8年。幸いにして身近な人間の死に直面することもなく今まで過ごしてきた娘。私も特に『死』について娘に語ったことはありません。テレビや映画、本からの情報で『死』が何を意味するのかということのほんの一部を少しずつ感じているのだろうと思います。そして、子供の感覚で深い意味もなく『コワイ』と言ったのでしょうから、とりたてて気にする話しではないかとは思いますが。

『死』だとか『命』だとか、形ないもののことを少し考えました。

私は10歳の時に父の死に直面したわけですが、正直なところ『死』の意味などさっぱりわかってはいませんでした。『死んだ』という事実によって好きだったパパがいなくなった。寂しい。だけど、家族を残して死にゆく父の無念だとか、『死』が周囲にもたらす本当の闇は大人によって封印されており、見ること感じることがありませんでした。それを見たのは母だけだったのではないでしょうか。


森山直太朗さんの『生きてることが辛いなら』という歌があります。前にその歌詞が話題になったので、ご存知の方もたくさんいらっしゃると思います。この歌が問題になった理由は、冒頭の歌詞にあります。

生きてることが辛いなら
いっそ小さく死ねばいい
恋人と親は悲しむが
3日と経てば元通り

確かに、ここだけ読んだら酷いと思って当然かと思いますが、この歌は『さっさと死んじゃえよ』と言っている歌じゃないんですよね。最後までじっくり聴いたらわかります。ただね、この歌は自殺を助長する可能性がある…などとわけのわからないことを言っちゃう愚かな大人がたくさんいるのも事実。呆れます。

そういう人たちは、まさに頭が固いのでしょうね。地位や名誉があったって、感じる心がない人間になっちゃったら悲しいですよ。

さて、娘のことですが、今はまだ『コワイ』と思うだけでもいいと思います。心の成長と共に、いっぱい考えてほしいと思います。この歌を聴いて、何かを感じることができる日が大人になる前にやってくるように……。


生きてることがつらいなら
悲しみをとくと見るがいい
悲しみはいつか一片の
お花みたいに咲くという
そっと伸ばした両の手で
摘み取るんじゃなくて守るといい


あぁ、実のところは私もまだ全然わかってないですよ。『死ぬ』ってこと。