感情の波は高く高く。情熱の重さは夜の凪。

『それ、まだ観る?』

昨晩のことです。オットが堺雅人さんと薬師丸ひろ子さんのドラマを観ていました。ドラマの中で薬師丸ひろ子さんが解離性健忘症を発症し、オットのことも子供のことも自分のことも記憶から消えてしまい、それをとりまく家族の気持ちだとかを追っている途中でした。

記憶が消える。消したい記憶もあるのに、消したくなかったであろう大事な記憶がすっぽりなくなってしまう。こんな怖いことはありません。あれこれ考えながらテレビから聞こえてくる音だけ拾っていましたが、途中から『もういいよ…。』という気持ちが強くなってきました。ドラマや俳優さん云々という話ではなく、その話の内容が私の心の中のどこか小さな穴にストンと入ってきて、軽い拒絶感があったという感じ。

『まだ観る?もう消さない?』そう言ってみたものの、途中まで観たドラマを消すなんて普通同意する人はいませんよね。私はあきらめて、寝室でボーッと本を読むことにします。

少しして、オットがやってきました。
『ねぇ、大丈夫?』と、心配してくれているようなのですが、私は全然なんともないです。ただなんとなく嫌な感じがしただけだよ。ということを伝えます。

『あのさ、前から思ってたことだけど、ある種の感情で自分の心が揺さぶられるのが苦手なんじゃない?』いつものように私の口の辺りをじっと見ながらオットが言います。口の辺りを見ながら話すのはオットの癖で、もうすぐ話し終わるよ…というくらいのタイミングで目を見ます。心地よいです。

オットの言葉を頭の中でゆっくり復唱してみます。ある種の?心が揺さぶられるのが苦手…?……うーん、そうかもしれないしそうじゃないかもしれない。イノセントラブも最初は観ようと思っていたのだけど、途中からどうにも自分の感情の波を抑えたい衝動にかられるので、疲れて観るのをやめてしまいました。そこまでドラマに感情移入するなよ…という話ですけど、どうもさらっと観られないんですよね。

オットが言います。『人間って、いろんな経験とか外からの刺激で心を揺さぶられ続けると感情の波はどんどん高くなっていくんじゃないかと思う。だから年をとると涙もろくなったりするわけでしょ。感情の波が高くなって。普通はそれを素直に受け入れると思うんだけど、キミ*1は感情の波によって思い起こされる過去の経験を思い起こしたくないってとこが強く働いちゃうんじゃないかな?で、混乱する前に自分の心にブレーキかける。まぁ、そのブレーキがいいんだろうけどね。』

分析上手だねえ…。あなたは専属カウンセラーですか?確かにそうかもしれないね。

ただね、以前映画を観て涙が止まらなかった話を書いたことがあるように、素直に受け入れられる時もあるのですよ。子供を産んでから、親としての感情という新たな波が派生しているのでその点においてはオットの言うようなどんどん高くなる波をうまく受け入れられるときもあるのではないかと思います。

あと、本ではほとんどそういう嫌な感情って起こらないので、映像として入ってくる情報に対しての拒絶なんでしょうかね?自分のことだけど、よくわからない。

とにかく、最初観たいって言ったドラマや映画でも、途中からやっぱ観たくない〜!っていうパターン、これからもあると思うのでそのあたりはよろしく。そして、それには深い意味合いはないと思う。私の感情表現が薄っぺらなことはあなたが一番よく知っているでしょう。自分でも薄っぺらに慣れちゃってるからね、多分ホントは心の中で波を待ってるかもしれないのに、それが来ると自分の心の中の凪が乱される感じがしちゃうんだろうね、きっと。と、オットには言っておきましたよ。

他人から見たらひどくつまらない人間になってしまうのだろうけれど、できれば…夜の凪で生きたいなぁ。大波も受けとめられた上での凪なら、なおいいのだろうけど…まだまだそうなるには時間がかかりそうです。情熱の重さは夜の凪〜♪なわけですし。


(by 希望の轍 サザンオールスターズ

桑田さん一人でギター1本で歌う貴重な希望の轍です。原由子さんのイントロ部分のピアノがないのが寂しい気もしますが、一人で歌う姿もかっこいいですな。それにしても、情熱の重さは夜の凪…とは、改めて素敵な歌詞ですねぇ。

*1:オットは私を名前で呼びますが日記ではキミと表記したほうがスマートな気がして。というか、キミと呼ばれるのは嫌いじゃない。というか好き。