『ある日常』1月14日の日記に思うこと

やはり私は顔の見えない方々に「良い顔」をしたいのだなと自分の日記を読み返しながら思っております。この場所は、もうほとんど事実を羅列しているだけ、でもその事実も取捨選択をした結果でありまして、本音さえきちんと出ていませんし、本当の意味での日記を書くというのはとても難しいですね。本当にそう思います。
ある日常『良い顔』2008.1.14

以前にもこのサイトの不思議な魅力について書かせていただいたことがある(2008.10.29)のですが、本日の日記を読んでいて、思ったことがあるので、引用させていただきました。

正直なところ、川窪さんの文章を今まで読んできて『顔の見えない方々に良い顔をしたい』ような文章だと思ったことは一度もありません。書かれているご本人はそう思われているのだと思いますが、読み手である私の印象は全く別なのです。むしろ、読み手を気にせず自由に書かれている…、いや、『良い顔』どころか読み手の感情を刺激(あまり良い意味ではなく)しようとしているのかな…?と、思えることさえあります。

書き手と読み手のズレ。『あれ?こういう方だったんだな。』とか『やっぱりそうくるか。』とか…人の日記を読んで、自分の考えとの違いだとか生活の違いを読み、また考える。ウェブ日記は、そこが面白いといえばそうだと思いますが、怖さでもあると思うのです。誤解されたらとことん誤解されますしね。

そんなわけで、今日の川窪さんの日記は私にとってとても意外であり、少し川窪さんに対する見方が変わりました。失礼な話ですが、読み手は文章から書き手を勝手にどんどん想像しますからね。もしかしたら川窪さんは、最強のキャラ立て職人?などとまで思ってしまった自分の読み手としての浅はかさみたいなものも感じてしまいました。


川窪さんのおっしゃる『本当の意味での日記』を読んでみたいと思った読者はおそらく私だけではないはず。今後も勝手な想像をしながら読ませていただこうと思います。