砂絵みたいな記憶

先日、駅の改札口を出たところで『期間限定!CD1480円!!』みたいな、よくあるワゴンセールが開かれていました。『てーぃくおーんみぃー…』耳に残るメロディー、懐かしい洋楽の数々。一通り見て、立ち去ろうとした時に邦楽コーナーもあることに気付きました。目についたのが、松山千春さんです。中学のある短い時期、深く深く聴いたアルバムが起承転結でした。

年代的には、チェッカーズとか尾崎豊さんとかブルーハーツとかが人気だった頃ですので、一時期とはいえ松山千春さんを好むというのは、多分ちょっとズレていたんでしょうね。

ワゴンからCDを手にとると、そこには若い頃の松山千春さんがいました。松山千春さんとリンクして私の記憶の中に残る一人の中学2年生の女の子が思い出されました。


憶えているのは、彼女がよく私に手紙をくれたこと。彼女とは特別仲が良かったわけではなくて、彼女の趣味と私の趣味が一致するポイントにだけ深く絡んでくるのです。彼女は、ベリーショートの茶髪で真っ白な肌に頬のピンク色が本当にキレイ。いつも大人びた微笑みを浮かべているような子でした。正直、クラスにも学校にも馴染めていなかったように思うし、時には突飛な言動で皆から奇異の目で見られることもありました。

私と彼女は、家庭科の席が隣同士でした。私は、周りの皆が言うように彼女のことをオカシイなんて思っていなかったし、むしろ絶対に彼女は優れた能力を持っていると信じていました。周りがそれに気付いていないか、気付いているけれど認めたくない何かがあったのかもしれません。

その後も、家庭科の時間の雑談のみの関係のまま。修学旅行が終わり、しばらくしたある日、彼女は1枚の写真と手紙をくれました。その笑顔は、いつもと同じだったはずなのに……。



その次の日、彼女は高いビルの上から飛び降りて自ら命を絶ちました。




昨年、中学の恩師に会う機会があった時、思い切って聞いてみました。『彼女が自殺した原因はなんだったの?学校での何かが原因していたの?』と。すると恩師ははっきりと『違う。』と答えました。家庭の事情だったのだそうです。恩師は、初めて教え子に話すと言いながら、あの日のことをゆっくりと聞かせてくれました。そして、『愛情に飢えていたんだよな、あいつは。なんでもう少し早く行って助けてあげられなかったんだろうな、俺は。』と、言ってお酒を飲み干しました。先生の眼が少し潤んでいるように見えました。

ほろ酔いで、暗い路地を歩きながら、隣を歩く先生に言いました。
『先生、私ね、彼女から写真と手紙もらったんだ。』


先生から聞いたのは、彼女が何人かに手紙を書いていたこと。遺書もあったこと。先生には直接電話していたこと。そんな風にSOSをたくさん送っていたのに助けてあげられなかったことを今でも悔やんでいること。

先生は、彼女の担任になったことはなかったんです。だけど、彼女は担任じゃなくて先生に助けを求めていたんですね。私に対する手紙には、具体的に助けを求めるような内容はありませんでしたが、あれももしかしたらSOSだったのかなぁ。一緒にもらった写真は、彼女が好意をよせていた男の子の写真でした。私も、その男の子のことなかなかいいかもねって言ったことがあって、彼女はそれを憶えていたのだと思います。『自分は死んじゃうから、もういらない。だからあなたにあげる。』という意味だったのかな…。


先生が自分を責めていたように、彼女の死でたくさんの人が苦しんだんだと思います。私も彼女の苦しみがどれほどのものだったのか、わかってあげられなかった人間のうちの一人です。ごめんね…と、思うけれど、でもやっぱり自ら命を絶ってしまった行為は肯定されるものではありません。


時が経つと、こうして冷静に思い返すことができるんだな。
砂絵みたいに、余計な砂はどんどん風に飛ばされて、核心だけが残っていくね。