きれい事ではない

仕事を終え、携帯片手に足早に駅へと向かっていると、背後から小さな女の子の声が聞こえてきました。『はみがき……?ねえ、ねえ。』

振り向くと、月に一度検診に来ているMちゃんでした。この4月、彼女は4年生になりました。ランドセルを背負う姿を見ると、新1年生と同じくらいの背丈しかありません。後ろから付いてきたお母さんの背中にはMちゃんの弟がおんぶされていました。弟はMちゃんの一つ下。けれど、幼稚園くらいの体格です。

二人は、知的障がいも持っており、Mちゃんは自宅近くの小学校にある特別支援学級に通い、弟は電車とバスを乗り継いで養護学校へ通っているのです。もちろんお母さんが付き添って。

Mちゃんに最初に出会ったのは3年前。当時は泣き叫ぶばかりで、ろくに話もできない状態で、お母さんの表情もいつも暗く、歯科に通うのは、Mちゃんにとってもお母さんにとっても地獄だったのではないかと思います。

年月が経って、Mちゃんは歯医者という場所にも慣れ、こうして道端で会っても私のことをわかってくれるようになりました。簡単な会話しかわからないけれど、彼女の目は私をしっかりと見て、私の声をしっかりと聴いています。夕日がまぶしくて、私が目をしかめると、Mちゃんはこう言いました。『どうしたの?おひさま、いたい?』私の顔を覗き込むMちゃんの心配そうな表情がかわいくて、思わずぎゅーっと抱きしめました。

私にとっては癒しの一時でした。
…が、その後、お母さんの話を聞くと、きれい事ではない現実の壁がぐわーっと押し寄せてきました。朝二人を送っていくことの大変さ、Mちゃんに小学校まで付き添ってもらうボランティアを頼もうと思ったら月に1万円かかると言われ、ご主人に反対されたこと、この4月に先生が変わったことでMちゃんが不安定になり、家でのパニックが酷く、それに追随するように弟もリズムが乱れて家事が全くできない状態であること。ご主人の協力がなかなか得られないこと……。

私は話を聞くしかできなくてごめんなさい…と、心から思いました。興味本位で聞いたみたいになったこともちょっと後悔していました。でも、最後にお母さんが『こんな話、なかなか人に話す機会がなくて。養護学校の親達ともあまり話せないんですよ。だから、聞いてもらってちょっと楽になったかも。』と、笑ってくれたのが救いでした。


困っている人がたくさんいるんだよなぁ…。