日曜日の午後。ムラカミハルキぐるぐる。

ちょっと静か過ぎる日曜日の午後です。
遅めの昼食を作りながら……。一週間分のワイシャツにアイロンをかけながら……。娘の給食袋の薄くなった名前を油性ペンでなぞりながら……。コーヒーの香りに癒されながら。
頭の中は、村上春樹さんのスピーチのことをグルグルと考えていました。家事っていうのは、考え事をするにはうってつけなんですね。こんなに家事が有意義だと思えるなんて。(笑)だって、じっとコタツに入った状態で考え事をしていたら100%眠くなるでしょ。家事の最中…特にアイロンと考え事はとても相性がいい。


テキスト庵の井戸端での皆さんのやりとりを読んでいたら、村上春樹氏が受賞したことに対して、そしてスピーチの内容に対して、自分はどう思っているんだろう?っていうことをちゃんと考えようという気持ちになりまして。本音は、訳してもうすっかり満足…だったのですけど。

しかも、ある方の書き込みに対して意見をしたら、それが勘違いで、自分のほうこそちゃんと読んでないんじゃん!という、枯れ井戸があったら3日くらい入っていたい状況なわけでしてね。

考えて最初に思ったこと。それは、私はそもそも村上春樹ファンなので、受賞を否定する気持ちがない。とにかく好きな人を肯定したい。アホか?議論にならん!と、言われそうですが、それが事実なんです。

スピーチに関しては、井戸端にも書いたのですが、村上春樹さんの超個人的な思いを語られたものだと思っています。スピーチの中で、小説家である自分というものを主張されていますけれど、小説家として賞をもらい、この場に立って意見を述べる機会を得たという事実をふまえた上で、実は小説家としてでも日本人としてでもなく、村上春樹個人としてお話しになったのではないかな?と、思うのです。

ご自身のこと、とりわけお父様のことをリアルにお話しになったのは、本当に驚きでした。私の記憶が正しければ、今まで村上春樹さんは父親のことを詳しく話すということをほとんどしてきていないはずです。今回話すことで、ご自身の抱えていた『父親の存在、父親が経験してきた戦争…そして多くの人の死というものに対する思い』を示そうとしたのではないかな。

壁と卵の話しは、もちろん印象的ではあったけれど、この部分だけがクローズアップされ過ぎているような気もします。小説が評価され、賞をもらい、いささか特殊な場でのスピーチをする機会を得て、今だから話したいことを話された。誰かの代弁者ではなく、国の代表というわけでもなく、今の村上春樹さんの心の言葉だと思って読んだら、やっぱりいいスピーチだったと思います。


皆さんの論点とはだいぶずれてしまっていますね。論理的に…は、やはり私には難しいです。直感で思ったことを書きました。

そうそう、海辺のカフカ、今読み返しているのですけどね、“猫殺し”ジョニー・ウォーカー=恐らく『父』というところも、村上春樹さんの中の『父親』というものを思うと、なんだか気になってきます…。

深読みし過ぎかなぁ。